「大人」になることについて
こんにちは。今日は少し固い話になってしまいますが、筆者がもう少しで社会人になるということで、「大人になる」ということについて話してみたいと思います。これから書くことは、あくまで個人的に考えていることです。「こんな考え方があるんだな」程度で読んでくれるとうれしいです。
大学生である僕は日々生活していると、「大人なんだから〜しなきゃ」とか、「大人な対応だね」など、「大人」という言葉が会話の中でたびたび使われることがあります。
みなさんがイメージする「大人」というのはどのようなものなのでしょうか。我慢強さだったり、自己決定する力だったり、コミュニケーション能力だったり、人によって解釈は異なると思いますが、個人的には「社会に適応する人」という意味で使われていることが多いように感じます。
もちろんそれは大切なことだと思いますが、社会に適応することが本当に「大人になる」ということなのか、ずっと疑問に思ってきました。この大学生活で1つの答えを出したので、是非最後まで読んで、感想、意見をお聞かせください。
いきなり結論になりますが、僕は、子供であり続けること=大人であることだという考えに至りました。
なぜこんなヘンテコな結論になったか、その過程を説明していきます。
僕は日本や海外をまわって、たくさんのカルチャーショックを受けたり、いろんな国籍の、いろんな立場の、いろんな年齢の人々に会って、彼らの話に耳を傾けてきました。その中で、世の中には本当に色々な人がいて、人生の選択肢は決して1つには定まらないことを知りました。
新たな驚きがあるたびにそれに面白さを感じ、もっと知りたい、もっと色んなところに行ってみたい、もっと学んでみたいと強く感じました。自分の欲望の赴くままに、たくさんの場所を訪れました。
その過程で、常に自分に驚きを与え続けることが、結果的に自分の成長に繋がるということに気づきました。
みなさんも、常に新しい自分を更新し、挑戦し続け、成長していく人をすごいと思うだろうし、そういう人を尊敬すると思います。このように、尊敬される人になるということが「大人」になるということなのではないかと僕は思います。
それでは、子どもはどうでしょうか。
子ども=小学生までの子だとすると、みんな実に感情豊かに、様々なことを受け止め、驚き、日々成長を続けているように感じます。そういった意味では、子どもは常に「大人」になり続けているのではないかと考えています。
しかし、子どもはどこかで周りに合わせ、本当に好きなこと、興味のあることにのめり込めなくなってしまう。世間が求めるような大人になろうとしてしまう。行動を集団が縛り、価値観が単一化してしまう。そうなってしまうと、己を持たない、周りに合わせるつまらない大人になってしまうのではないでしょうか。
自分を成長させることは好奇心に従って、それを探求することだと思っています。そういった意味では、「子ども」のように、無邪気に未知のものに飛びついてみることが、「大人」になる方法だと思っています。一見意味のないことでも、行動し続けることで、必ず点は線になると信じています。線につなげるために、たくさん点を作っていく。それが繋がった時、初めて「大人」になることができるのではないでしょうか。
まとめ
いかがだったでしょうか?
僕はこれからも「子ども」であり続けたいと思っています。冒頭でも言いましたが、これは本当に個人の一意見なので、みなさんの「大人」観も是非聞かせてほしいです。コメントお待ちしております。