マイノリティにとって生きづらい社会
こんにちは。今日は生きづらい社会の中でどう生きていけばいいのか、自分なりの意見を述べていきたいと思います。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
僕が感じる生きづらさとは、「こうあるべき」という固定観念に皆が囚われていることです。
高校野球は坊主で、礼儀正しくするのが当たり前。大学卒業したら就職して当たり前。学校に行くのは当たり前。異性を好きになることは当たり前…
こういった、一方的な決めつけを知らず知らずのうちにしてしまっているのではないでしょうか?
社会や組織、集団でこういった暗黙の共通認識がはびこっていることはよくあります。
僕はこういう一方的な決めつけが好きではないです。
このような決めつけがマイノリティ(少数派)を縛り、苦しめているからです。
果たして、社会が「こうあるべき」であるとする基準を全てクリアしている人は全国民の何割程度いるのでしょうか?
限りなく少ないことは明らかです。
人には得手不得手があるんですから。
そういった意味ではみんな、マイノリティの経験はあるはずです。
誰でも一度は生きづらさを感じたことがあるでしょう。
それなのに、「普通」から逸脱しようとしている人、もしくは逸脱している人(マイノリティ)に対して、冷たい目で見てしまったり、批判的に見てしまったりしてしまいます。
これこそが生きづらさの原因なのではないでしょうか。
そもそも「普通」とはいったい何なのでしょうか。
それは自分が「普通」だと思う、1つの価値観でしかないと思います。
「普通」とは社会の共通認識としては成り立たないのです。
この世には自分の知らない価値観が腐るほどあるということを知っていなければなりません。
「無知の知」というやつです。
自分の「普通」を逸脱することが起きた時、
他人を疑う前に
「それは自分が知らない価値観であるだけなのかもしれない」
と自分を疑ってみてほしい。そして、理解し、受け入れてほしい。
そうするだけでお互いに生きやすい社会になるのではないでしょうか。
近年は、個人の自由が尊重されるようになってきてはいますが、まだまだ皆が見えていないところでマイノリティは苦しんでいます。
「普通」を求める社会から逸脱した存在だと、嘆いています。
誰にも言い出せない人だっているはずです。
まず、「知らない」ということを知ってほしい。
そして、尊重してほしい。
それだけでいいんです。
多様な価値観を認め合える、平和な社会になることを望みます。